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●広東省在住 会社員 吉谷 利一さん(58)
広東省における対日感情
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日本においては中国人の反日感情を指摘する声が未だに大きいようだ。たしかに、四川大地震の際に日本政府が緊急援助隊や医療チームを派遣したことで中国人の対日感情が良くなったというニュースが流れること自体、それまで反日感情があったことの証左であろう。
しかし、私は2年前にこの国に来て現在は広東省の珠海(ジュハイ)という街に住んでいるが、日本で伝えられているような「中国人=反日」を実感するような嫌な思いをしたことがない。
その理由を想像するに、中国の中でもこの広東省地区というのは昔から香港をはじめとして経済が活発な地域なので、経済を中心に合理的な考え方をする人が多く、つまりは儲かれば他の事はどうだって良いと割り切っている人が多いということも関係しているのではないかと思っている。
それ故この地域では政治的なものの考え方をする人が少ないので、元々反日感情などというものは薄いのだということも誰かから聞いたことがある。
北京など北の方へ行けばまた状況が全然違うのかもしれないが、この土地にいる限りは日本人というだけで不快な思いをすることはなさそうだ。実際に様々な店、例えば床屋とかマッサージ屋、中華レストランなどに行っても、私が日本人だという理由で嫌な思いをさせられたことはこれまで一度もないし、逆に日本人だと分かるとみんな人懐っこく喋ってくるくらいだ。勿論そういう風に喋られても私は何も分からないのだが・・・。
またこれは1年以上前、以前勤務していた会社での話だが、社長がある時、50人くらいいる若い中国人キャド・オペレーターたちを前にして、もしかしたらこのうちの何人かが一時的に東京に行ってもらわなければならなくなるかもしれないが、東京に行きたい人はいるか?と聞いたところ、殆どの人達が手を挙げたくらいであった。
上記の例からも分かる通り、中国の若い人たちは日本に対して色々な情報を持っていて、決して日本を嫌っている人ばかりではなく、むしろ憧れている人たちだってたくさんいるのかもしれないとその時私は思った。
このようなこともあり、この地域にいる私としては、日本で言われているような反日感情など本当にあるのだろうか、と疑わしくなるくらいだ。ただ何かの拍子にそれらしきことを感じることも全くないわけでもない。
例えば、ちょっと前まで毎日のように昼食を食べに行っていた洋食屋さんの壁には当たり前のように反日ビラ(昔の新聞記事のコピーだが)が貼ってあったりもする。
私は最初その店に行った時、そのビラを見てちょっと不快な気分になったが、その店の店員達は全くそのようなことにはこだわっていそうにないし、私が日本人だと分かった後でも、彼らが知っているだけの日本語で親しげに話しかけてきたことを憶えている。
だから私の印象としては(あくまでこの街にいる限りの話しだが)、中国人の日本人に対する感情はそれほど悪くはない、と思っている。確かにある時期、1990年代くらいには反日教育を盛んにやったらしいので、その影響が多少残っているかもしれないが、私だけに限って言えば、日本で言っているほど反日教育の影響を感じたことはない。
もっともそういう気持ち(反日感情)を刺激するような話、例えば所謂「南京大虐殺」みたいな話題を出せば、もしかしたら彼らの態度も硬化するのかもしれないが、そのような話が出来るほど私は中国語を喋れないし、またわざわざそのようなことを話題にする必要もないと思っている。
まあ過去にはお互いに色々あったし、今もまだ色々な感情がくすぶっているのは私にも充分判ってはいるが、そのようなことを何時までもぐずぐず言っていても始まらないので、兎に角この国の人達との付き合いは未来志向で行くしかないのではないか、と私は思っている。
<編集部注>
吉谷氏のブログはhttp://ameblo.jp/yosiyariiti/ です。皆さんも是非お立ち寄りください。
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●会社員 controversyさん
福田総理に呆れる
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福田内閣の無策かつ媚中ぶりに、心ある日本人、いや自由主義を謳歌する世界中の人々が怒っています。チベット弾圧・毒餃子問題について"中国様"の言う通りの政策。一体あなたはどこの国の総理なのですか。今回胡錦濤が訪日している最大の目的は、北京オリンピックを成功させる為の地ならし、その為隣国日本の支持の取り付けなのですが、日本にとっての見返りはパンダ二頭のリースとは。そんなことなら子供でもできます。
それにも増しておかしいのは日本経済界の動きです。彼らの頭に巨大な大陸マーケットがあるのはわかりますが、今もし、チベット弾圧をうやむやにすれば、最後はあなたたちに跳ね返って来ますよ。自由主義を擁護できないあなたたちに、自由主義を謳歌する資格はないからです。
このような思いから、私も「胡錦濤訪日に抗議する!5・6緊急国民大行進」に参加しましたが、日本人も、まだまだすてたものではありません。老若男女みんな心を一つにして暑いなか、京橋から日比谷公園まで行進しました。皆さんもこの問題を深く考え、何らかのアクションを起こしていただければと思います。
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●会社員 ヒッキーマウスさん (33)
「朝の風景」
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私は毎朝車で通勤している。職場は駅から近く、通勤・通学の時間帯ということもあり、道路は多くの人や車で混雑している。
その通勤途中に、道路を横断する人が多いのに信号がない交差点がある。見通しがあまりよくないので、ドライバーも歩行者も自転車に乗る人も細心の注意を払わなければならない。
ある朝、いつものように車でその交差点にさしかかると、サングラスをかけ白いステッキを手にした男性が横断しようとしているのが見えた。目の不自由な方なのであろう、横断するタイミングが計れずに困惑しているようであった。
対向車も続いているのでそのまま通過してしまうか、それとも車を停めて渡れるようにするべきか考えていたそのとき、通学中の、やはり道路を横断しようとしている女子高生がその男性の腕をとり、一緒に渡ろうとしている姿が目に映ったのである。
見知らぬ人への親切は大人でも一種の気恥ずかしさがあってなかなかできないものである。多感な高校生の時期ならなおさらであろう。そのような感覚(あるいは先入観)をもっている私にとって、その女子高生の行動はたいへんな驚きであった。
その後も、女子高生がその男性を渡してあげている場面を何度か見かけたのだが、付き添っている女子高生は毎回別の人物のようである。つまり、彼女たちは皆ごく自然にそのような行動をしているのであろう。
私は車を停めて男性と彼女たちが渡り終えるのを待つくらいのことしかできないのだが、その光景に出会うたびに、彼女たちの優しさを感じて温かい気持ちになるのである。
<編集部注>
麗しいお話しですね。人形町サロン編集部は、この名も知らぬ女子高生の栄光ある将来及びご多幸を祈念してやみません。
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●静岡県在住 会社役員 小谷野敬一郎さん(54)
<編集部注>
渡辺論文に対してご感想が寄せられましたのでご紹介いたします。ありがとうございました。
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神話や伝説というのは、見直されるべきだと思いますね。
その証拠に、レヴィ・ストーロスをはじめ現代哲学を代表する構造主義者は、神話に着目したのですから。
いずれにしても日本人の源流には、日本書紀や古事記、万葉があるのですから。
それは、日本人の意識の中に、又原風景の中に確実に生きていると思います。
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●岐阜県在住 税理士 Kさん(31)
<編集部注>
渡辺論文に対してご感想が寄せられましたのでご紹介いたします。ありがとうございました。
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この方の論考にはすばらしい才能を感じさせますね。しかし本来こういう論文は一部の者のためだけにあるんだねと感じさせるような読解の難しさがまだ残っているところが残念です。これは渡辺さんの論文にかぎらずここに掲載されているすべての論文にいえることです。渡辺さんの文は大衆を知的遊戯に誘うという点で後少しで劇的に変わる可能性を秘めていますので編集者の方共々以降頑張って下さい。
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特集:野村手記への感想 続編3
<編集部注>
人形町サロンに寄せられた「痴漢容疑で逮捕され」の感想の一部を再度追加掲載いたします。ありがとうございました。
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●埼玉県在住 大学生 男さん(21)
『痴漢容疑で逮捕され 逮捕・否認・実名報道・勾留・釈放』の記事を読ませていただきました。読んでいて怒りが沸いてきました。本当に冗談じゃ済まない話ですよね。
読んでいる途中、ずさんな取調べを行う警察だけでなく、<被害者>とされている女子高生にも怒りを覚えましたが、冷静になって考えてみると、その思考回路も危ないという事に気が付きました。野村さんが痴漢をしたという証拠が無いように、その女性にも同じく証拠が無いんですよね。
しかしそうなると、警察が<被害者>であるとされる女子高生の供述のみを<真実>として受け止める理由が理解できません。確かに、泣いている女性とその側に立ち尽くしている男性がいたとすれば、殆どの人が「あぁ、あの男があの女の人を泣かせたんだな。」と思ってしまいます。でもそれは一般人の思考であって、犯罪を取り締まるプロである警察が同じ思考を持ってはいけないと思うんです。
僕は毎日、日進駅を利用しています。まさか僕が毎日利用する駅であんなやり取りがあったなんて、夢にも思いませんでした。これが現実なんですね...。レポートを読んだ後、『痴漢冤罪回避』をネットで調べてみましたが、決定的なものは見付かりませんでした。「駅長室に行ってはいけない」「警察に任意であろうが同行してはならない」等、実際その場にいたら実践できるかどうか分からない事柄しかありません。しかも、これは根本的な解決では無いんですよね。
被害者以上に、<冤罪>を被せられた人々がどれほどの苦痛・不利益を被るか、僕達はもっと知る必要があるのでしょうね。今後も、人形町サロンを小まめにチェックしようと思います。それでは、失礼しました。
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特集:野村手記への感想 続編2
<編集部注>
人形町サロンに寄せられた「痴漢容疑で逮捕され」の感想の一部を再度追加掲載いたします。ありがとうございました。
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●東京都在住 公務員 行政マンさん(55)
拝読させていただきました。生意気な表現になってしまいますが頑張りました。よかったです。苦痛から解放されたいために「はい」と言ってしまう。あるいは「はい」を言わせるために取り調べがあるよう。これまでも多くの国民が泣かされてきているのでしょうね。
でもまだ決着していないはずです。主張する「人形町サロン」、期待しています。
●志木市在住 無職 Sさん(57)
サロンのレポートを拝読。災難は実に理不尽というより他なく、ただただ義憤を感じた次第。貴殿の屈辱と不名誉に比し新聞警察女子高生らは蛙の面、切歯しばし止まることなし。
貴殿をとりまく人々は如何。サロンの読者の声は皆皆貴殿を信じて暖かい。これは近い将来、貴殿の被られた大きな不利益を埋めて余りあるべし。
サロンのレポートと読者の声の閲覧をひろく友人に勧めることを、私のせめてもの災難お見舞いとさせていただきます。
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特集:野村手記への感想 続編
<編集部注>
人形町サロンに寄せられた「痴漢容疑で逮捕され」の感想の一部を追加掲載いたします。ありがとうございました。
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●東京都在住 大学生 留学生さん(21)
こんばんは。まず、お帰りならいませ!
文章も読ませていただきました、昨日いろいろお話も聞かせていただいて、体験したくない体験でしたね。いろいろ大変でしたが、みんなに理解してもらって学校にも無事に帰ってこれて、嬉しいです。そんな警察達に・・・殴りたい気持ちですね。
でも、最初からいろんな目にあって、事情は明らかに分かりますけど、それも最後まで付き合っていたのは野村先生の優しさかな、優しすぎたではないか私は思っています。
本当にご苦労さまでした。学生さん達も、先生達も、みんな野村先生はそんなこと、絶対ありえないよ、と言っていました。事情聞いたら、やっぱりそうだなあと思っています。被害者としてはいろいろ辛い思いもあるけど、頑張って乗り越してください。学生のみなさん、先生のみんなさん、私も、応援しています。
野村先生のお母さんの体調はいかがですか?はやめに回復することを祈っています。今日素敵な笑顔、元気な姿を見せていただいて本当にありがとうございました。元気でいてください。
●さいたま市在住 自営業 渡辺さん(35)
野村さんのレポート、詳細に拝読させていただきました。
冷静に記されている中に、おそろしいくらいいろいろな事実の流れがあり、野村さんが不条理な事件に不意に巻き込まれてしまったことが感じられます。野村さんの憤りも感じられ、それを私は共有したいと思います。
この類の犯罪は、被害者側の訴えを不当に重視する側面があることを考えなければなりません。私は断じて人権主義者ではないですが、しかし、人権主張が防御的に存在することは認めなくてはいけないと思います。
日本が訴訟社会になるという主張がよくみられますが、「訴訟社会」ということは、実はこうした誤認逮捕が、被害者の訴え中心の捜査の中でどんどん生まれてくるということを意味します。ですから訴訟社会というのはおそろしい社会なのです。私達が幾ら論理的に天賦人権を否定しても、現実的には防御的な人権主張というのを言わなければならない場というのが、どんどん登場してくるようになるでしょう。野村さんのレポートから、日本が刻一刻と、そういうおそろしい社会に近づいていくことを感じています。
野村さんの社会的復権が一日も早く完全な形でなされることを心から希望しております。
●佐野市在住 大学院生 防衛さん(34)
レポートを読みました。公権力の怖さを改めて知ったとともに第4の権力と呼ばれて久しいマスコミは、いかに真実を報道するかにかかっているのにも関わらず、警察発表を鵜呑みにして報道する自殺行為を思い知るべきだと感じました。
これでは、戦中の「大本営発表」を載せていた新聞と変わらないですね。特に産経新聞は、ひどいですね。いつもは人権人権とうるさい朝日新聞のほうが、事後の報道を載せたことが印象に残りました。最後に、野村氏の家族や親族、先祖、友人らに対する思いやりに感じいった次第です。
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特集:野村手記への感想
<編集部注>
人形町サロンに寄せられた「痴漢容疑で逮捕され」の感想の一部を掲載いたします。ありがとうございました。
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●前橋市在住 会社員 新妻さん(31)
人形町サロンの論文拝読しました。警察というものをまったく信じることが出来なくなりました。最後まで戦った野村さんは素晴らしいと思います。何もしていないのに周りからあのように言われたり、あのような場所に何日も入れられていたら、あまりの苦痛に根負けしてしまうという話しも聞きますが、野村さんの精神力の強さ、素晴らしいと思います。大変だとは思いますが最後まで戦って下さい!
●新潟市在住 会社員 吉田さん(36)
ひっでー目にあったね。新聞やTVで謝罪するべきだよね。泣き寝入りしてる人ってかなりいそう。
●東京都在住 会社員 不動産屋さん(26)
人形町サロン読みましたよ。完全に冤罪ですね。マスコミがいかに権力者かわかりました。責任追及する割には、自身の報道責任はとらない。都合の悪いことは報道しなければいいわけですからね...。
今回は本当に、運が悪かったとしか言いようがないのが歯がゆいですね。
いっそ、民事で、とか思いますが、時間的にも金銭的にもキツいですしね。
本当にお疲れ様でしたm(_ _ )m
●福岡市在住 会社役員 イケイケさん(46)
記事、拝見しました。改めて、ぞっとしました。
「警察に付いていった段階でおまえの負けなんだよ・・・」と言われた件、他にどういう選択肢があったのでしょうか?読んでて、男と女はグルだ・・・と思いましたので、俺なら・・・二人とも、半殺しにしてやったか・・・とも思いましたが、当然、実際にはそんなこと出来るはずもなく・・・。
●東京都在住 会社員 横さん(30)
私は偶然、インターネットの報道によって事件を知りました。ああいう風に、実名で、しかも職業、住所を掲載することに驚きました。逮捕された段階では、それが事実かどうかわからないのに、本人(被疑者)のプライバシーを公表しているからです。さらし者やなと思いました。
率直な感想は、「怖い」ということです。マスコミの報道姿勢、警察の捜査の姿勢、彼らに最も必要であるはずの客観性が不在だと思いました。客観性の無い者が、ある種の権限、権力を持つ。実に怖いです。権力、権限を持つ者には、それと同じぐらいに責任があるはずです。警察、マスコミは責任を果たして欲しい。
私は、野村さんには大変お世話になっており、報道を受けて不安、心配になりました。不起訴処分になったということで、少し安心しましたが、野村さんの心中を思うと、何と申し上げていいか、わかりません。
私にできることは、これからも、事件が起こった以前と同様に、礼儀、節度をもって野村さんと接していくことだと考えています。野村さんの忸怩たる思いは、消えないでしょうが、お天道様は見てくれています。どちらが正しいかは、時機が来れば、証明されると信じています。
陰ながら応援しています。大変だと思いますが、がんばってください。
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●会社員 一山形県民さん (29)
新たな保守勢力の結集を
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8/1upの席亭閑話ですが、「民意」というリヴァイアサンを統御すべきであるとの見解に対し、全く同感です。まさにそれこそが、「統治」という行為なのだと思います。
また、同文末尾において、加藤紘一氏の選挙応援サボタージュに対して筆誅を加えていらっしゃいましたが、私は自民党山形県連における候補者擁立の経緯から判断するに、氏は初めから自党の公認候補を勝たせる気がなかったのだと認識しております。
昨年夏、当時県連会長だった加藤氏は、(従来のような密室の決定ではなく、)「今回は公募で決めたい」と発表。小泉旋風の記憶が未だ鮮明な時期ということもあって、県内外から10数人の応募がありました。ところが、「該当者なし」ということでやり直し。第2次公募は前回より応募者が減りましたが、またも「該当者なし」。この間、地元紙・ローカル局ではたびたび都内と山形市を往復する県連幹部らの姿が映しだされ、県民にしらけムードを与えたことは否めません。3度目でようやく決まった女性前市議は、初めから不利な条件で戦うことになったのです。
穿った見方かもしれませんが、加藤氏は「小泉・安倍新保守路線が否定されれば、反ブッシュ・反憲法9条改正・東アジアにおける中国の地域覇権容認の自分の出番だ」くらいに考えていたのかもしれません。氏の世界観が朝日新聞等「戦後レジーム」擁護派と大差ないことを考えれば、イラク戦争後の戦後処理の停滞とそれに伴う米民主党の躍進、米政府・議会の一部に浮上しつつある北朝鮮の核武装黙認論などの動きを見て、「逆襲の機会が来た」と考えても不思議ではないでしょう。
もはや加藤氏は獅子身中の虫と考えた方がいいでしょう。それでも、(氏本人が「勝算がある」と判断しない限り、)自民党を離党することはないはずです。氏のような与党内の「戦後レジーム」擁護派と袂を分かつためには、保守政党が地方住民や衰退産業従事者(飯尾潤・政策研究大学院大教授の表現を借りれば、「行政依存層」)にカネや庇護を与える存在としての自民党しかない状態を打破するしかないのではないでしょうか。次期衆院選(08年〜09年前半か)までに、政界再編を保守主導で行う必要があると考えます。「行政依存層」が、旧田中派的手法(戦後日本型社会民主主義)を放棄した自民党を見捨てた結果が今回の選挙結果であるなら、それに代わる新たな理念や支持基盤の構築が必要なはずです。この敗北を、むしろ保守再生の出発点として生かすべきです。
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●フリージャーナリスト 広觜志保子さん
グラスからあふれる水のように〜自殺考
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私にもかれこれ30年も前には、大学生だった時期があった。
その当時私は、第2外国語としてフランス語を選択していました。モノにならなかったのは言うまでもありませんが・・・。
当時の原書講読の時間に、とても印象的なひとつの作品を読みました。タイトルはあやふやですが、「死んでいったひとりの少女のために」というようなものです。何か、フランスでは文学賞を取っていたと紹介されたと思ったので、ちょっとだけ検索してみましたが、引っかかりませんでした。
内容は、ある人が、目の前に自殺した少女の遺体を見ながら−それは多分全く知らない人なのだろうと思うのですが−その少女の死に思いを馳せるというものです。その中に、タイトルのようなことばが出てくるのですね。
自殺の原因はひとつではないかもしれない。それはグラスに雫のように徐々に溜まっていったのかもしれない。そうしてグラスは縁までいっぱいになっていたのかもしれない。そうして、最後の一滴が落ちたとき、グラスの水が一気にこぼれるように少女は自殺したのかもしれない。
こんな内容だったはずです。
私が30年も前のことなのにここまで覚えているのは、それだけ鮮烈なインスピレーションを感じたからです(まぁ、サボってばっかりいた私が言うのもナニですが・・・)。
希死念慮のある人には判ると思いますが、希死念慮の気持ちはほんとうにこのように積もっていくのですね。私がかつて希死念慮だった頃に感じた感覚そのままです。
で、私が周囲を見て、希死念慮のある人をみていると、2通りに大別されます。
ひとつは、何も言わずにひっそりと、心の内側のグラスに水を溜めて、周囲には突発と思われるような自殺をする人。こういう人は、いわばワイングラスの外側になにか不透明なものが塗ってある。それで中身が見えない。そうして突然、逝ってしまう。自殺のあとに「原因がわからない」ということになり、周囲の人にとってもとても辛いことになります。
もうひとつのパターンは、辛さをしばしば外にアピールしながら、理解を得られないで自殺していく人です。いわばワイングラスは透明で、しかもその中身を外に見せている。「私の心のグラスにはこんなに溜まっているのよ」と。それを周囲が認めてあげられないと、ワイングラスにはどんどん水が溜まっていく・・・そしていつか溢れる。
俗に「死ぬ死ぬと言って死ぬ奴はいない」と申します。でも、それは、前者のようなパターンの自殺だけを見てきている人の言い分。後者のような方は、「死ぬ死ぬ」と言ってほんとうに死んでしまうことがあるのです。それは、私自身が大人になったあと、本格的な希死念慮にとらわれたときの経験から、私にはよく理解できることです。
だから、私は、死にたいとか、いなくなりたいとかおっしゃる方には、当時の自分が重なります。
もしかしたら、ワイングラスの水が今日溢れるかもしれない。いつ溢れるかは私には判りません。だから、希死念慮のある人には、できるだけ溢れる前に、溢れないように減らすようにと接していきたいのです。
私の周囲は、DVのサバイバーさんが多いので、俗にいうメンヘラーも多い。私も、PTSDでほぼ毎日フラッシュバックを繰り返しています。
以上はそんな中で培った、私の信念でした。
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●会社員 巴丁丹乂さん (33)
e-TAXについて
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この春の確定申告時期には、テレビなどでさかんにe-TAX(イータックス)の宣伝がなされていた。e-TAXとは、国税の各種申告・納税をインターネットでできるというシステムである。政府はこのシステムの開発のために多額の資金を投じていると言われているが、肝心の納税者の利用は、昨年より増えたとはいえ、いまひとつだったようだ。
利用が伸びない原因は様々あると思うが、端的な理由としては、納税者がe-TAXを利用するメリットを実感できないことではないだろうか。まず、e-TAXを利用するには、電子証明書付の住基カードやICカードリーダライタなどを準備しなければならず、ほとんどの納税者はこれらのために新規投資を行わなければならない。また、e-TAXを利用すればすべてインターネットで済むというわけではなく、別途郵送等で提出しなければならない添付書類も多い。
いっぽうで、納税者がメリットとして実感できるものは、いまのところ、平成19年分又は平成20年分の確定申告で受けられる5,000円の税額控除だけであろう。前述の機器等を購入したら赤字になってしまう額である。それならば、いままでどおり紙で出せばいいや、と考えてしまうのではないだろうか。
近年のインターネットの普及率に照らし合わせてみれば、インターネットでの申告に対する潜在的需要は多いはずである。セキュリティ面の配慮や申告の適正性の確保が重要なのは理解できるのだが、なんとか納税者が実感できるメリットを出せないものか。
(付記)今回は申告所得税についてのみ取り上げ、また、税務代理で申告するケースを除いている。
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●会社員 CONTROVERSYさん
いよいよ具体化してきた憲法改正論
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只今、憲法改正が、盛んに議論され、その前提として国民投票法案が、国会日程に上っている。ここのサイトを見ている読者では憲法9条についての関心が大きいであろうが、?ちょっと待ってくれ?その他にも改正すべき点・付け加えなければいけない点があると思う。本文では、時代の要請として、あるいは今まで忘れられていた立場の人たちの復権としての改正点について提案する。
先ず、早急に考えなければならないことは、「環境権」である。確かに環境権については憲法13・25条によって解釈上認められているが、我々の自然・環境を子孫によりよい形で残すのは我々の責務である。我々がよい環境の下生活する権利(自由権的側面:一般に憲法は国民と国家の契約といわれているが、この側面では、私人間効力を認めるべきであろう)と、国がよい環境を保全する責務(社会権的側面)は、ぜひとも加える必要がある。特に後者は前文で高らかに謳ってほしい。
次に犯罪被害者に対する保護条文である。今までは被害者は捜査の単なる証人としての地位しかなく、それに反して加害者の保護は憲法31〜40条迄10条にも及んでいる。勿論それも自由主義のコストといってしまえばそれまでだが、我々のコミュニティーの?連帯?を考えれば、せめてプログラム規定でもいいので一条ぐらい(要はバランスの問題)入れてもいいのではないか。
以上二点について提案してみたが、皆さんの考えは如何なものであろうか。
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● 京都大学助教授 安岡
孝一 氏
<編集部注>
本年2/7に掲載した泉幸男氏のコラムに対し、京都大学の安岡孝一助教授から下記のような反論が参りました。泉氏はこれを受け、補筆という形をとり、オリジナルに若干の手直しを致しました。反論を下さった安岡氏、それに応えてくださった泉氏に感謝申し上げます。
泉幸男氏のコラムについて
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1・朝日字体派の「世論」なるものが存在したそうで、ワープロメーカーに「<鴎>の字が出てこない」という苦情が殺到した、のだそうである。
そのような記録を、私は目にしたことがないのですが「のだそうである」の典拠は何でしょうか?
私の知る限り、1983年9月1日のJIS C 6226改正において、「鴎」の字体が採用されたのは、第一水準漢字におけるOCRの精度を上げることと、24ドットプリンタの字形を簡略化すること、の2点が原因だったように思われます。さらにこれらの遠因として、当時のJIS
Z 8903に、当用漢字以外の字体に対しても簡略体を準用する旨の記述があった、という点が挙げられます。JIS
C 6226の1983年改正については、拙著『文字符号の歴史 欧米と日本編』(共立出版、2006年2月)のpp.157-160にも記述しておきましたので、よければごらん下さい。
2・「表外漢字字体表」の答申をうけて、新聞業界も続々と表外漢字を伝統的字体に戻しはじめた。平成16年にはJIS規格も国語審議会の答申を生かすべく改正され、「かもめ」のコードは朝日字体に譲って、あらたに「かもめの正字体」に対応するコードが作られた。
「かもめの正字体」がJISで復活したのは、1990年10月1日制定のJIS
X 0212においてです。これを受けて、1995年1月1日制定のJIS X 0221でも「鴎」と「かもめの正字体」には別のコードがふってありますし、2000年1月20日制定のJISX
0213でも同様です。
2004年までほったらかしになってたわけではありません。JIS X 0212の制定に関しては、『文字符号の歴史
欧米と日本編』pp.162-176を、よければごらん下さい。
3・それでも朝日新聞は朝日字体をやめなかった。元祖の意地だ。それが、平成19年1月15日になってついに白旗を揚げた。なぜ、いま白旗なのか。
表外漢字を伝統的字体に戻した基本ソフト(OS)の「ウィンドウズ・ビスタ」が1月30日発売となることで、朝日字体の敗北が確定するからだ。朝日新聞は、国語審議会の答申が出てから6年間も抵抗しつづけた。しかしウィンドウズ・ビスタさまには屈服したのである。
まったくのデタラメです。朝日新聞の用語委員会は、2002年1月の時点で、表外漢字字体表準拠を決議しています。また、Windows
Vistaは元々2006年11月発売の予定だったのですから、もし朝日新聞が本当にVistaに屈服したのなら、2007年1月15日という日付は変ですし、「辻」の字体も変更したはずです。この点に関してはhttp://slashdot.jp/~yasuoka/journal/396816 に、私の反論
を掲載しましたので、よければごらん下さい。
(2007/03/26)
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● 会社役員 ペンネーム 横浜市バイク野郎Kさん (34)
<編集部注> 規定より長い文章ですが、今回は特別です。
グレー金利についての私見
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政府もしくは立法機関は法による金利規制を全廃し、自由契約の健全な成立のために債権者と債務者双方に必要と考えられる告知義務・説明義務・確認義務・履行義務の強化の為に必要かつ具体的な方法について議論すべきである。
私の考え方の前提としているものは、
1)価格を受け容れるか否かは消費者側にある(契約自由の原則)。よって、上限金利なるものを法によって規制すべきではない。
2)契約は悪魔との間にでも成立する性質のものである(『ファウスト』を読め)。債務者の負担は、金利によって軽減される場合があることは事実であるとしても、自由契約に基づいている以上、債務者が支払の義務を果たせないような状況となった場合に問われるべきものは、債務者の返済計画であって、金利の高低ではない。
3)弱者を救済するべき主体は、債権者であるべきではなく、為政者であるべきである。債務者が窮地に追い込まれる原因として主なものに、例えば「職を失う」などが挙げられるが、その要因は、本人の資質なのかもしれないし、政府による景気対策の不備かもしれないが、断じて債権者のみの責任とは言えない。
4)無知は保護すべき対象ではない。自由契約を認める以上、権利義務の比重は対等または対等に近いものであるべきである。景気の悪化や企業のリストラはある意味外的要因と考えても良いと思えるが、無知(グレー金利の存在に対する認識等)は、組織的な隠蔽工作でも無い限り内的要因でしかあり得ない。確かに契約書や説明書の交付をしていない場合は債権者に瑕疵があるとしか言えないものの、口頭による説明の有無に関わらず書面の交付の事実がある限りにおいては、当該契約の遵守義務は債権者も債務者も対等であるべきである。
5)無法者は法に縛られない。悪質な貸金業者或いはヤミ金業者があることは確かに社会的な問題であり、解決すべき問題であるが、これらの発生原因は金利に対する規制の有無を原因とせず、例えば暴力団等反社会的勢力の存在等、法に縛られないまたは法を無視するものを原因とするものであり、法を遵守する業者のみを縛る出資法及び貸金業法のみで解決すべき問題ではない。暴力団対策法等、違法行為の防止や違法行為に対する罰則を強化する議論をするべきであり、ましてや金利の高低を諸悪の根源として議論すべき問題ではない。
6)悪法は悪人を生む。裁判とは、出資法と貸金業法の矛盾を議論するべきではなく、当該契約の内容に基づいて判断されるべきものである。契約の内容について蔑ろに、金利の高低のみ裁判官の個人的な趣味を押し付けることこそ職務怠慢であり、職権乱用であり、違法である。裁判によって、債務者の無知を保護し、その返済計画の稚拙さは問われず、更に債務者の悪意についても問われない状況下において、債権者の審査(信用調査)の限界を援用し、契約を遵守する意思無く融資を受けるといった、債務者による詐欺行為が横行する。
7)好景気とは無駄使いから生まれる。好景気とは資金の流通が円滑であることであるが、投資と還元のバランスが取れて初めて資金を流通させる意欲が生まれる。貸金業界においてのみ考えると、投資(融資)と還元(利息収入及び回収)のバランスが崩れれば当然、投資意欲は損なわれ、資金の流通量が減少する。国際社会における国家間の援助又は協力を初め、企業による貿易(購入と支払)や労使の関係(役務と需給)に至るまで、提供と受益のタイミングが同時で無い場合は全ては貸し借りの関係が成立している。それぞれの主体は、それぞれが考え得るリスクを検討した上で投資しているのであって、リスク検討またはリスク取りの方法を法により規制し、需要と供給のバランスを破壊することが弱者救済に繋がるとはどうしても考えられない。景気の停滞が更に弱者を生み出すことに繋がっている可能性から目を背けて、景気の悪化による弊害を貸金業者に押し付けることは今話題の「いじめ」と何らかわりない。一発逆転の会心の政策は出来ない状況であるとしても、現に存在する弱者を救済するために、貸金業者を泣かせている状況を正論とせず、やむを得ない暫定措置として、せめて政府には後ろめたい気持ちを持って自責してもらいたいものである。
(2006/11/06)
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● ニューヨーク在住大学院生 ペンネーム 放浪癖さん (25)
「アメリカ人の変なところ(その2) ニューヨークのゴミ箱」
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前回と同様にニューヨークに住んでいて、ここは変であると感じることについて。
NY市内を歩くと多数のゴミ箱があることに気付く。地下鉄の駅の構内はもちろん、大きな通りの交差点やバス停の近くなど至る所にゴミ箱が置かれている。日本では地下鉄のゴミ箱が撤去されるなど町中でもゴミ箱を見ることが少なかったことと思うが、その状況とは大きく異なる。
しかしながら、こちらの道路や駅構内は日本より汚い。こちらの地下鉄は開通100年と言われる。その古さが汚い理由の1つであることも言えるが、それ以上に乗客が平気で物をそこら中に捨てていることが基因しているようだ。つまり、不思議なことに町中にゴミ箱がない日本の方が町中にゴミ箱があるアメリカよりもゴミが落ちてないのである。
そして、もう1つこれはゴミ箱だけに言えることではないが、たまたまゴミ箱で強い印象を受けたので言いたいことがある。私が通う建物の4階、エレベーター脇にゴミ箱が1つ置いてある。ほぼ関係者しか出入りしないような場所であるが、そのゴミ箱はビッチリと鎖で繋がれており、ゴミ箱が盗まれないようになっている。誰がこのようなものをわざわざ盗むのであろうか、とつくづく思う次第である。
しかしモラル面では日本も偉そうなことは言えない。シンガポールのような法律を作れとは言いたくはないが、もう少し厳しく取り締まる事も考えなければならないのかもしれない。
(2006/10/17)
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●会社役員 へいたらうさん (45)
学年不要論
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例えば、同じ事を学んでも1年で理解する子供もいれば、6年かかる子供もいる。
また、同じ子供でも、社会は1年で理解するけど、算数は6年かかる子供もいるわけで、それを、皆一様に同じカリキュラムで通し、理解の程度に関わらず、皆一様に1年で打ち切ってベルトコンベヤーに乗せて次学年へ上げてしまうと言うのは、いかにも乱暴な話である。
その結果、わからない子供はわからないまま次の学年に進んでしまうことで、余計わからなくなり、学習への意欲を失う。
この弊害を改める為には、即ち、学年制をやめて単位制にするべきであり、無論、判断能力の低い子供本人に単位を選ばせるのではなく、教師が客観的に判断し、「この子には算数はもう一年」という風に割り振ればよく、同じ年の子供とのふれあいがなくなるというのなら、組というものは維持したまま単位制とし、その授業が終われば、それぞれの組へ帰って行くというふうにするなどの助長補短策を講じればいいのではなかろうか。
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●求職活動中 ペンネーム よっしーさん (35)
相次ぐ保険金不払い発覚について
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「今度は三井住友か」が第一声である。
明治安田生命の発覚を契機に保険金の不払いが続々発覚している。
先日業務停止となった消費者金融のアイフルと同様、業績を上げる為(=株価を上げる為)に社員へ圧力をかけた結果、顧客が犠牲になったと思った。
代表が裸の王様で株主相手に得意げに決算発表している裏で、社員が冷や汗かきながら工作している上場会社もある事を私は知っている(但し、裸の王様が善意でそうしているのか悪意でそうしているかは知らない)。
まあ、世の中そんなものだと片付けるのも可能であろうが、やはり釈然としないものがある。
(2006/06/29) ▲Page
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●会社員 ペンネーム 岬タロウさん (32)
日本サッカーは成長の途上
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ワールドカップ日本代表の試合をテレビで観戦したが、グループリーグ敗退に終わり残念だった。
期待が大きかっただけに、試合結果への批判には厳しいものが多かった。
日本代表が思ったよりも弱かったとガッカリした方も多いと思うが、
歴史のなかでみれば、日本サッカーはだんだんと成長してきていると考えていいのではないだろうか。
昔は本大会に出場することそのものが夢だったのである。
それが、ここ十数年で、本大会に出場し、勝利を挙げることもできるようになってきた。
今回は2敗1分で足踏みとなったかもしれないが、成長にはそういう時期もあると考えるのが自然であろう。
水前寺清子が歌う偉大な言葉「3歩進んで2歩さがる」を思い出しつつ、長い目で応援していきたい。 ただ、さがることはあっても前進する姿勢とそのための工夫は大切である。
その意味で、今回ブラジルと直接対戦できたことは、日本サッカーにとって僥倖というべきであろう。
世界のトップとはどういうレベルなのかという具体的感覚をもって今後4年間サッカーに取り組むことができるからである。
耳で聞くだけでなんとなく想像しながら取り組むのと比べれば、4年後にもたらされるものは大きく違ってくるにちがいない。
次回の南アフリカ大会では、まずは決勝トーナメントでの初勝利を、
そしてその先は決勝トーナメントの常連チームになっていくことを期待したい。
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●会社員 ペンネーム Yさん (29)
「高利貸し」問題について
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利息制限法を超過した利息、いわゆるグレーゾーン金利が問題になっている。
上限金利の引き下げなどが論議されているが、それだけではすまない時期に来てるといえると思う。
つまり貸付を追及し、利息を払わせるだけ払わせて、回収は保証人または家族からというビジネスモデルが、今の世の中には受け入れられないのではないだろうか。
確かに契約した以上、貸金業者は保証人から回収することは合理的である。
契約した責任があるからだ。
しかし、貸し付けの実態や、情緒という部分で「契約の合理性」の肯定を躊躇させるのも事実であろう。
現在は貸金業界に限らず、「量」を追求する時代から、「質」への転換を迫られていると感じる。
「高利貸し」と揶揄されることが多い貸金業者、世の中に尊敬される企業への脱皮を期待したいものである。
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●大学院生 ペンネーム ayukazuさん (23)
「公共空間におけるマナーを守ろう」
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いつも拝見させていただいております。
席亭閑話の「電車内における公共マナーの劣化」というお話に私も共感します。
私が最近電車で悩まされているのは、特急などの指定席において子供と大人が一緒になって騒いでいることです。
電車内は公共空間です。
本来ならば親が「お行儀よくしなさい」、「電車で騒ぐのは恥ずかしいことです」とたしなめるべきでしょう。
それなのに親が一緒に騒いでいるのです。
私としては、そういう迷惑家族に目で訴えているものの、なかなか気付いてもらえないのが現状です。
わざわざ「静かにゆったりとした時間をすごしたい!」と思って高いお金を出したにもかかわらず逆に不快な思いをします。
乗務員は携帯電話の注意以外にも、公共空間を守るための施策を打ち出してもらいたいものです。
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● 柴田禮司 様
児玉論文に質問です。
第1章に「大東日報」に原敬を紹介したのが中井弘とありましたが、
その根拠を教えてください。 原稿へ
<編集部注>
柴田様は原敬記念館の元館長です。
このような専門家にご覧いただき有り難く存じます。
以下は児玉氏の応答部分です
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| 柴田禮司様
小生の論文を読んでいただき、有難うございます。
原敬の『大東日報』入社の件について、お答えします。
学生・記者期の原の歩みについては詳細かつ確実な史料が乏しく、
第1章の前半における略歴は、信頼に足ると判断した以下の3書に依拠しました。
(1)前田蓮山、原敬伝、上巻、高山書院、1943年。
(2)山本四郎、評伝原敬、上巻、東京創元社、1997年。
(3)川田稔、原敬と山県有朋、中公新書、1998年。
柴田様の御指摘をうけまして、これらの書籍を確認しました所、
(1)では「斉藤修一郎ではなかったか」、
(2)では「井上馨が目をつけたか、あるいは斉藤か渡辺洪基か、
案外原に代作を頼んだ中井弘あたりが勧めたのかもしれないが、
口をきく人があって入社ということになったのであろう」と、
(断定をさけつつ)それぞれ推察を行っておりました。
また、(3)では簡潔に「井上もしくは中井のルートで」と記述されておりました。
お恥ずかしい限りですが、自ら1次史料にあたらず、
確認せずに断定形で書いてしまったとしか申し上げられません。
真に汗顔の至りです。
日本外交史としての論文であっても、1字1句気を抜いてはならないことを思い知らされました。
柴田様の今後ますますの御活躍をお祈りいたします。
児玉光平
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(2006/06/06)
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● ニューヨーク在住大学院生 ペンネーム 放浪癖さん (25)
「アメリカ人の変なところ(その1) ニューヨークの交差点」
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ニューヨークに住み4ヶ月が過ぎ、生活そのものにはようやく慣れてきたが、
生活している中で相変わらずここは変であると感じることがいくつかある。
交差点における車両の右左折もその1つである。
一般道路の交差点にて、
歩行者用信号機が横断可能なサインであり歩行者が横断歩道を歩いているにも拘わらず、
車両が強引に右左折する。
私自身つま先を轢かれたこともある。
これはアメリカの教育の成果なのであろうか。
自己主張をそんなところでもするのかと毎度思う。
我が国では道路交通法38条で歩行者が守られており、
歩行者優先は一般的な感覚である。
ここでの法律や習慣について正確に理解していないとは言え、
歩行者優先の感覚があまり無いように感じられる。
日本でも近年では交差点など横断歩道で歩行者が車に轢かれる事故が増えてきているように感じる。
車の運転手は密室の中で自己の世界に入り込み易く周りが見えづらくなる傾向があると言うが、
近年流行の間違った個性尊重の教育をしたのでは、この現象をも助長させてしまうのではないだろうか。
免許取り立ての頃、私は父から
「車は人殺しの道具になるから十分に気をつけろ」と再三言われたものである。
(2006/05/31)
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● 会社員 英国在住 ペンネーム 牛津太郎さん (35)
「まずは日本文化を」
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城内実氏の投稿には全く賛成です。
私は現在英国の大学に在籍して1年になりますが、さほど流暢には英語を話すことが出来ません。
しかし、英国人に日本のことを、特に伝統的な文化や歴史(天皇制のことなど)の話をすると教養ある人ほど大変興味を持って聞いてもらうことが出来ます。
武道の話もそうです。
私は中学校のときに学校の部活で柔道をやっていて初段を持っています。
大して強くも無かったのですが、ブラックベルトを持っているというと話も弾み、
大学で指導してくれないかとの誘いも受けました(結局、自信が無くて断ってしまいましたが)。
渡英後友達もなく寂しい状況でしたので、柔道の話題にはとても助けられた面があります。
外国では日本の話をすることが求められます。
そのときに日本の伝統についてきちんと説明できれば彼らの見る目も全然違ってくるのです。
まずは自国の伝統・歴史を知るのが国際化への遠いようで最も近い道だと思います。
(2006/05/31) ▲Page
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塾講師 穴吹茂己さん (41)
「女性の社会進出もいいが・・」
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近年、子供が事件に巻き込まれる報道が連日なされている。
かつては、父母が、同じコミュニティーに住み働いていた時代があった。
そして時代が下り父がコミュニティーの外へ働きに行き母が家庭を守り、
そして地域を守っていたのであるが、女性が社会進出するにしたがい、
地域社会のいろいろな面において空洞化が生じた。
確かに女性が働くことにより多元的な意見が社会に提言され、
より民主的な社会が達成される利点があるのであるが、
その反面?少子化とコミュニティーの崩壊?がおこったのである。
つまり、かつて女性は花嫁修業をし、結婚→子育てに対して大きな価値が見出されていたが、
近年の女性は社会進出のほうがより大きな価値を見出しており、
社会もそのことをバックアップしているのである。
それによって、子供をつくる動機が弱まり、又、夫が外で仕事をし、
辛うじて地域の担い手であった女性までもがコミュニティーの活動から離れていってしまったのである。
ここに地域社会のいたるところに綻びが生じてきたような気がしてならないが、いかがなものか。
(2006/05/29)
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