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私論・石原慎太郎・下 −石原と 「肉体」− 2008.04.09   

自営業 渡辺 望氏

<略歴>
昭和47年高崎市に生まれる。
最終学歴は早稲田大学大学院法学研究科修了(法学修士)。


 小林秀雄(1902―83)といえば、わが国で最も有名な評論家の一人でしょう。様々な業績を遺しこの世を去りましたが、生前の彼の辛辣振りは特に有名で、相手を容赦なく叩きのめしてしまうのです。特に、酒が入りすぎると止まりません。石原慎太郎の『わが人生の時の人々』には酒宴の席で小林秀雄が水上強(小林に認められ作家として独り立ちできた人物)を泣くまで詰責し、それを止めるよう勧告する若き日の石原の様子が描かれています。

 石原の勧告の成果でしょうか、その場は収まり、水上は石原に感謝するのですが、当の石原は出過ぎたことをしたかもしれないと反省するのです。石原が途端に反省したのも無理はない。名こそ知れ渡っているとはいえ、石原は未だ新米扱いの身です。下手をすれば文壇サロンから外されかねない危険行為をしてしまったと、小林の圧倒的な権威と気性を知れば、そう思うのが自然だからです。石原は翌日、そのときに一緒に座敷を去った漫画家の横山隆一に、頭を掻きながら、昨晩の件、さぞかし小林さんは不機嫌だったでしょう、と尋ねると、予想に反して横山は、小林さんは威勢のいい奴が現れたな、とたいへんな上機嫌だった、と石原に伝える。

 この日の事件がきっかけで、以後、小林は石原にたいへん好かれることになるのです。食べ物や人付き合いも「真」と思わなければまず付き合うことのない小林が自分の方から、すすんで好意をもつということは驚くほど珍しいことです。

 小林が石原に好意をもっていた証拠に、まだ30代の石原が参議院選挙全国区に立候補した際にその推薦人を引き受けたエピソードがあります。『国家なる幻影』からすこし引きましょう。

そうかい君も立候補するのか。いいことじゃないか。しかし俺は今ちゃんに頼まれて東光さんの推薦人になっちまっているが、重なってもいい規則ならかまわないよ。

 ここで小林のいう「東光さん」というのは今東光、「今ちゃん」というのは東光の弟の今日出美のことです。1968年の第8回参議院選挙は 石原慎太郎以外にも、今東光、青島幸男、大松博文、横山ノックら、戦後大衆文化の著名人の当選の多かった選挙です。文壇の神のような存在をすでに占めていた小林と、今東光・今日出美の兄弟の生涯の交友は有名で、今の推薦人に小林がなるのは自然ですが、しかし小林は石原の推薦人にもなったのです。小林は石原に魅せつけさせる何かを感じたのでしょう。

 しかし小林には石原論も、石原の文学についてのエッセイも全くといっていいほど見あたりません。石原の小説を精読したことがあるのかどうかも判別できない。少なくとも、酒宴の席におけるエピソードのときまで、石原に関して全く何も知らず、石原の作品を何も読まなかったのは間違いない。以降読んだかもしれないけれど、読んでいい感想を抱いたら必ず活字にする小林に何も石原に関しての批評文がないところをみると、その作品に、たいした感想を抱かなかったのかもしれません。

 小林という支援者を得た石原ですが、文壇での評価はわかれていました。批判する側の理屈は石原文学の肉体性です。『太陽の季節』以来、石原の小説の実に多くが、殴り合いや殺人行為、暴力的性行為など、青年の「肉体行為」を題材にしています。石原文学の大きな特色といっていいでしょう。

 ところで、私達は軽蔑的な意味で肉体という言葉を使うときが少なくありません。「あいつは所詮、肉体派なんだよ」などの場合です。石原が批判されたのも肉体性ゆえです。こうした場合の肉体という言葉には、思考が苦手だったり、思考を拒絶したりするというようなニュアンスが伴います。肉体派といわれた人達を想起してみると、大概が、自分とうまく渡り合える人間でなかった。しかし肉体派という言葉をよく考え抜いて使っていたか、というと、そうもいえなかったようにも思います。

 たとえば私の親友の一人にハナからの石原嫌いがいる。「石原の何処が嫌いなの?」と尋ねてみたら、「彼は肉体派だからさ」という答えが返ってきました。「石原の何処が肉体派なの?」と言おうとして私は言葉に詰まってしまいました。私自身が「肉体派」とか「肉体」という言葉をよくわからずに使っていたことに不意に気づいてしまったからです。肉体というのはそもそもが非常に漠然とした言葉であって、なかなか定義困難な言葉なのです。ヨットレースをはじめスポーツに夢中になったり、果敢な政治的行動に邁進したりする石原慎太郎の行動ぶりをみると、確かに、彼に肉体という言葉を思い浮かべてしまうのですが、しかしではあらためて肉体とは何か、という問いを突きつけられると、返答に窮してしまう。

 たとえば、肉体の反対語は何なのか。国語的には、肉体の反対語は精神ということになっています。ならば人間の体というものから、肉体というものをいっさい取り払うと、そこに精神がみえるのか、というと、そんなことはとてもいえないわけです。両者はそのような簡単な二元論的関係・二者択一の関係にあるわけではありません。

 あるいは、肉体と身体は同じものなのか。肉体が筋肉的なものをイメージするなら、贅肉なり脂肪は肉体ではないのでしょうか。肉体の反対語が精神ということだとすれば、頭脳は肉体とは異なり対立するものなのか。私の問いはあまりにも基本的なこと、ともすれば幼稚なものに思えるかもしれませんが、しかしこうした問いを回避してしまっているところに、肉体という言葉は危うく成立しているのではないでしょうか。

 こうした批評は肉体と精神を国語的に対立させてしまう月並みな図式に陥っているといわなければならないでしょう。肉体がただそこにある、ということは、読み解かれるべき精神があまりにも純粋な形でそこに顕になっているのだ、という言い方もできる。確かに、肉体は言葉をもっていない。しかし、その沈黙がゆえに、徹底した精神的な何かをもつことがある。たとえば深作欣二の映画の幾つかが成功しているように、暴力を題材とした物語が極端に精神的風景を帯びることがある、というふうにもいえるのです。

 デビューしたばかりの石原文学のモラルの欠如についての世間の批判は、実に手厳しいものがありました。石原はこの批判に対して、「価値紊乱者の光栄」という有名な論文を書いて応酬します。ここで石原が宣言的に肉体という思想を語っています。

 我々の世代が現代にもつ意味は、我々が共通して抱く、既成価値に対する不信とある面では生理的な嫌悪である。それこそ我々の世代の新しさであり若さであるはずではないか。
 そうした不信、反感、あるいは嫌悪は決して皮相な観念操作によってできあがったものではなく、あくまで肉体と生理の健康さによって形造られたものである。それゆえ、既成の価値体系に対するこのような態度は、そうした健康ささえもちあわせていれば、決して人間の年齢によって限られるということはないはずだ。
(「価値紊乱者の光栄」『中央公論』1956年9月号)
   


 「そうした不信、反感、あるいは嫌悪は決して皮相な観念操作によってできあがったものではなく、あくまで肉体と生理の健康さによって形造られたものである」という言葉は、つい読み過ごしてしまいがちなくだりですが、既成価値に対しての反発が、言葉による新たな価値形成でなく、肉体によって形造られるものである、というのは、肉体というものが、言葉でない何か別の私達の根源である、ということを言っているのであって、すでにここで、肉体というものが石原の中で、私達の日常的意味から離反した何かであることが明白になっているように読み取れます。あるいはこの時期から数年のちの対談ですが、三島由紀夫と石原の間に、このようなやり取りがあるのが目をひきます。

石原:うん。僕はそういうときに日本人というものは個々人の肉体というものに対する精神をもう少し変質
    すればいいんじゃないかと思うんです。自己の肉体に固執すれば。そういうところからじゃなかったら、
    日本人のオリジナリティは出てこないでしょう。
三島:でも昔小説家はビフテキ食えばバルザックみたいになるというので、僕はそれをけんけん服膺して
    一週間に五回ビフテキを食っていて、何にも効果がないもの(笑)。
石原:そうじゃない。肉体というのはボディビルの肉体じゃない。肉体的な存在感というか、そういうものが
    日本人には希薄すぎるな。
三島:そりゃ仏教の伝統もあるし、なにもあるし、この世は仮りの住まいだという考えがどうしても抜けない
    からな。
    (「7年後の対話」『風景』1961年二月号)

 もし、石原が繰り返す「肉体」という言葉が、どうにも不明瞭だ、という印象を持たれる方がいるならば、石原がいう肉体という言葉を、「自分でも定義しきれない何かの存在」というふうに置き換えればいいでしょう。

 「肉体」や「肉体の思想」というものがわかりにくいのは、元来、定義しきれない何かの存在、というようなものを彼が肉体という単純な言葉で表現してしまおうとすることから起きてしまうことによります。

 大概の日本人というのは、三島の考えるように、ボディビルの肉体のようなもの、肉食やスポーツで形成されるものを肉体と考えがちです。つまり、つくりだして、「みられる」ことが肉体である、ということです。しかし石原は「肉体というのはボディビルの肉体ではない肉体的な存在感」という。端的に、石原にとって肉体とは身体ではないのです。福田和也は「三島由紀夫が、肉体をボディビルで鍛えたり、小説世界を自らの秩序論理によってつくりあげていくとすれば、石原氏にとっての世界とは、そんな肉体と同時に所与の事実なのです」(『石原慎太郎の季節』)と正しく指摘しています。石原は後年、あちこちで三島のボディビルの肉体鍛錬を、「つくりものの美学」といって揶揄していますけれど、しかし肉体というものは、そもそもがつくりものであると考えるのが自然なのではないでしょうか。ノーマルとアブノーマルということでしたら、この場合は三島のとらえ方が前者であり、石原のとらえ方が後者である、といえます。それくらい、石原は独特の意味をこめて、肉体ということをいい、「肉体の思想」を展開しているのだ、というふうにできるでしょう。

 江藤淳は、文学者としての石原について、「肉体の思想」の「肉体」という言葉の意味するところは「破壊者」あるいは「時代の児」いう言葉が相応しいのではないか、と指摘しました。また別のところで石原にむかって「君は何をやっても何かあまってしまうんじゃないか。それが重要なんだ」といいます。この指摘は非常に鋭いものです。つまり、石原の根源は計り知れない、換言すれば端倪すべからざるが故の存在感なのです。

 言葉を破壊しつくしたとき、残るのは肉体である。石原慎太郎は今や一つの叫ぶ肉体になりつつある。やがて、叫び声すら無力なことが自覚されれば、彼は沈黙の実行家になるだろう。最近の彼が政治権力に強い関心を抱きだしているのは故のないことではない。


 石原慎太郎を作家というのは適当ではなく、いわんや文学者というのも適当ではない。しかし、そうであっても、彼はあきらかに一人の「時代の児」である。彼を作家にふさわしからぬ者といい、彼の作品を非文学と断じるのはやさしい。だが、そのように論じ去ることによっては、この「時代の児」がかかえこんでいる複雑な問題は解決されない。もし彼が言葉を侮辱し、理性をふみにじろうとするなら、文学や理性はこの破壊者に正面から立ち向かうことによってしか生命を回復しないだろう。
(江藤淳「石原慎太郎論」『中央公論」1959年12月号』)


 政治をやろうとしてもあまるんじゃないか。その余るものものが何かということは、どうも大問題なんだな。それが石原というものを、困ったことに無視できないものにしているゆえんだと思う。
(江藤淳・石原慎太郎「人間・表現・政治」『季刊藝術』1968年10月号)


 ですから、石原の肉体という言葉は、時として小説内の暴力というものにもなるし、あるいはヨットレースのようなスポーツ行為にもなるし、選挙での勇ましい攻撃的政治演説の中にも肉体という思想はあるのだ、ということになる。それらに共通するものはおそらく、現実的意味での肉体というものからは実は遠く隔たるものであって、では何かといえば、何かの「反(アンチ)」の力学が内在しているもの、しかし定義しきれない何か、それが石原の肉体の意味するものだ、と考えるのが正しいのではないか、と私は思います。それを暴力や、スポーツ行為や、政治的演説というもので定義しようとすると、「あまってしまう」のです。肉体という実体は、実は石原には確かなものとしてはないのです。それを不確かに表象するものとしての肉体しか、石原には捉えられていない。しかしそれが故に、石原の文学的行為や政治的行為の根拠にもなるものなのです。

 こうして、石原という人間が、「価値紊乱者の光栄」では戦前的価値観を激しく攻撃しながら、やがて、戦後民主主義批判を通じて戦前的価値観を保守する立場に転じるのは、何ら矛盾することではない、ということになります。彼は思想的転向をしたのではなく、あくまで自分の「肉体という思想」に忠実に、戦後社会を生きたということに他なりません。「反(アンチ)」の力学に支えられた、石原の「肉体の思想」から導き出されるものだから、という点を、私達は石原という人間を観察・考察するときに忘れるべきではないでしょう。

 以上を踏まえた上で、蛇足かも知れませんが、最後に小林が石原に好意を寄せた理由について言及しましょう。実は、小林はそのことについて一切明文化していないのです。ですが、既述した酒宴のエピソードとほぼ同時期、小林は福田恆存・中村光夫との座談会で以下のように述べています。長いですが引用します。

小林:サルトルでもいい、若い読者がああいう人に何か感動するだろう。僕はたとえば若い頃に
    ドストエフスキィを読んで非常に感動する。それは何か僕の心的世界が根底的に照明された
    という感じがあったのよ。それは間違いだったのかもしれないがな。しかし今、サルトルに感動
    したとき、ああいう血に通じる感があるかな。
福田:文学史的に面白いと思ったり、知的に精神的に面白いと思ったりすることはないとはいえない
    けれども、ドストエフスキィを読んだときの感動というものとは違うな。
    ドストエフスキィに限らない、日本でも明治文学の話が出たけれど、たとえば平家物語を読んだり、
    歴史の本を読んだりしたときの感動というものは、明治文学以来得られない。
    これはどういうことかな。
    近代文学というものをみんな職業的文士の目で見ちゃうんじゃないかな、日本文学にしても外国の
    文学にしても。感動はそういうところから生まれないのじゃないかしら。
中村:それと関係があるけれども、小林さんがランボオを読んで感動したというのは、フランス文学という
    ものではないでしょう。
小林:全然違うんだ、勝手なものさ。
                                                                                                         

「文学と人生」『新潮』1963年3月号」 

 ここで語られている「サルトル」は、サルトルそのものではなく、現代文学あるいは現代芸術に置き換えてもいいでしょう。反面、「ドストエフスキィ」は文学や芸術における古典一般を意味するといっていいわけです。どの時代でも現代的なるものの中の一部から古典が抽出されていき、そして新たな古典がつくられてきた。しかしこうした時代の精神的リレー、つまり現代と古典の間の精神的リレーが20世紀になってどうも崩壊してきてしまっているのではないだろうか。小林と福田・中村のやり取りにはそうした素朴で的確な疑念がたいへん見事な形で提出されている というふうに読めます。早い話、「魂の感じられる作品にどんどん出会えなくなっていくのはどうしたわけなのか」ということです。読書人ならば、誰でも一度 は激しく悩む問題だといえましょう。
 
 ならばこの現代というのは文学や芸術によって、「最後の時代」なのでしょうか。言い換えれば、現代の文学や芸術を、私達は本来的な感動と無縁に眺めなければならないのでしょうか。小林はこの座談会の最後に、こんなふうなことをいい、読者にある種の背負い投げを喰らわせる。「魂の感じられる作品に出会えなくなっているのはどういうわけか」という自分の提出した疑念について、「そうでもないのだ」という答えを導くのです。ここで現代文学、現代芸術について語る小林の言葉はなかなか巧みです。

 そういうことと違うんだね。要求がある。その要求に従って書いていればいいわけなんだね。要求がなけりゃ、これは資格がないんだからほかのことをすりゃいいんだ。新しいところでバルトークにしたって強烈なものがある。最後までそれを通している。どういうわけであんな頑固な要求があるか、と思う。ああいうものとたいへん違うことは、たとえば今のアメリカ音楽には要求というものがないんだよ。要求がある人はジャズをとことんまでつきつめてしまうだろうが、要求がない人は、それじゃあまりつらいんだね。おもしろさがわからないことは結局、人間がわからないことだと思うね。一番おもしろいのは人間がわかることだよ。愉快になることじゃないよ。バルトークの音楽なんてちっとも愉快じゃない。あんなつらくてあぶら汗のでてくるような音楽って、あまりないですよ。だけどそれはいかにもおもしろいね。そういう感想を音楽家にいうと、「そんなふうにバルトークを聞きますか」というけどね。そりゃプロコフィルとは違いますよ。サルトルなんて僕につまらないのはそういうものがないからだ。サルトルよりバルトークの方が僕にはおもしろい。自分の内的な要求通りにやったということです。現代ではああいう不思議なものありますね。それはピカソにもあります。
                                       

「文学と人生」『新潮』1963年3月号

 水上勉にからんだ小林秀雄を猛然と食い止めたときの石原に、小林秀雄は、石原の「要求」というものを読み込んだのではないでしょうか。もちろん、石原の行為というものは、文学作品そのものではありません。しかし繰り返し述べてきたように、石原という人間を理解するということは、文学的作品に閉じて理解することでは達せられることではない。江藤の言葉を借りれば、「文学というものをやってもあまってしまうもの」が、石原という人間の実はとらえどころのない存在感なのであり、それが「肉体の思想」というものに他ならないからです。「真贋」に生涯こだわった小林ですが、彼にしてみれば、真贋というものをわける基準というのは、現代か古典か、ということではなく、またバルトークの音楽を「ちっとも愉快じゃない」ということでわかるように、作品の客観的評価ということともおそらく無縁なのです。「要求があること」そして「人間がわかるということ」、ここまで単純化された小林の鋭利な直観が、自分の「からみ」を食い止める石原の姿に、瞬時に石原の「肉体の思想」を読んでとり、それを暗黙のうちに絶讃して、生涯の交友ということを通じて、石原への言葉でない批評を完成したのではないだろうか。私は石原と小林の間の交友のエピソードに、そういったものを感じとります。


 
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