人形町サロン
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明治大学教授

福田 逸 氏

<略歴>
昭和二十三年(1948)神奈川県に生まれる。上智大学大学院修了。
明治大学教授・(財)現代演劇協会理事長・演出家。専門は英国演劇。
翻訳に『エリザベスとエセックス』『名優演技を語る』他、戯曲等の翻訳多数。
演出は多くのシェイクスピア作品を始め、新作歌舞伎に至るまでジャンルは広い。
<編集部注>
今回はわが国を代表する文化人のお一人である福田教授に登場いただきました。福田教授に執筆いただくのは人形町サロン開設以来の懇望であり、編集部としては欣快の至りです。チョンガー公爵は福田教授のブログ「福田逸の備忘録−独断と偏見」 http://dokuhen.exblog.jp/ を「お気に入り」に設定してあり、毎日チェック、日々勉強させていただいております。皆さまも是非、お立ち寄り下さい。なお、同教授のコラム(「心に穿たれた空洞」)が今月号の『正論』に掲載されております。こちらもご覧下さい。
 文化といふもの  2007.11.05

 
 言葉といふものは、どんなものであれ曖昧なものであり、ほかの言葉に置き換へることはもとより、定義することもままなりません。しかし、文化といふ言葉ほど曖昧な言葉は他に類がないのではないでせうか。その曖昧さも手伝つてか、近頃、私は文化といふものについて考へては、自ら頭の混乱を来たしてゐます。今回、この場を借りて、その混乱を少し整理してみたい。いや、一層の混乱の渦に巻き込まれる自分を曝け出して、読者の皆さんに文化について考へる切掛けを提供できれば、それで十分かと思つてゐます。

 たとへば、日本文化――この言葉から私たちが連想するものは何でせう。和服、畳に障子、風鈴、それとも歌舞伎や能狂言? あるいは桂離宮や伊勢神宮のやうな建造物? それとも絵画や仏像でせうか? これらのものを確かに私たちは日本文化と捉へてゐるかもしれない。しかし、これらは日本の文化が生み出した結果に他ならないと考へるべきでせう。

 尤も、さうであつたにせよ、これらは紛れもなく日本独自のものではあります。ただし、私達の日常生活を形作つてゐるといふ意味で文化を捉へる場合、歴史的・伝統的な建造物や絵画、仏像を、その範疇に入れてよいものだらうか。上の例で言へば、文化といへるのは精々、和服や畳や風鈴の類、あるいはその周辺のものとしての日本家屋や日本庭園などではないでせうか。あるいは、さういふ物との「ふれあひ」や「付き合ひ」を文化と呼ぶべきではないでせうか。となると、今の世に、日本文化と呼べるものが私達の周囲にどれほどあるのか、大いに疑問です。

 一方、和服にしても、日常、外出着のみならず普段着としてまで和服を着こなし、付き合へる人がどれ程ゐるでせう。それこそ歌舞伎の世界の人でもなければ、さうさう和服に慣れ親しみ、身の回りの小物まで和服に合はせて取り揃へてゐるといふ人は、さう多いとは考へられない。いや、歌舞伎界にしても、私の知る限り、普段は「洋服を着て靴を履き車を運転して」楽屋に入ることが殆どです。ちよつと気取つてサングラスと帽子で、それと気付かれぬやうに「人目に付く変装」をする人気役者もゐるわけです。

 日本家屋にしても、私達のどれ程が畳や襖・障子のある家で暮らしてゐるか。行住坐臥、「和風」の暮らしをしてゐる人などあるのか。多くの人はいはゆるアパートやマンション暮らし。一戸建てに住んでゐても、ベッドにテーブルに椅子、洋式のトイレにエアコン、テレビにパソコンと、何もかもが従来の日本的生活からは程遠い環境で暮らしてをります。

 ここでも日本文化は消滅してゐる、少なくとも我々から遠く隔たつた存在となつてしまつたとは言へないでせうか。もう一度、自分の身の回りを見回して頂きたい。我々は日常生活からも、日本的なるものを限りなく放逐して顧みなかつた、さうは言へますまいか。

 これが、紛れもなく今の私達の姿なのです。だとすると、私達の日本人としての「アイデンティティ」=自己証明はどこにあるのでせう、何処に求めればよいのでせう。文化とは、歴史的建造物の中にあるのでもなければ、国宝級の仏像の中にあるのでもない、それは、我々の日常生活の中になければならぬはずです。生活と共に存在しなければならぬはずです。

 文化といふ言葉に、何か高尚なものを求めるのは間違つてゐるのではないか。真の意味での文化とは、その国(民族)固有の暮らし振りを保持し続けること、しかも、美しい形式を備へた日常生活を送ることではないでせうか。ところが、私達は、明治以降の近代化と、敗戦といふ未曾有の経験を通して、この日本固有の文化を手放した、失つた、私はさう考へてゐます。

 日本家屋は伝統工法による建築自体が困難になりつつあり、日常の生活も全て洋式に変り、和服は、着ることそのものがファッションの対象と化し、浴衣がブームとなる。お分かりでせうか。「和」といふものがファッションやスタイルとして、「物マネ」の対象になつてゐるのです。自分の中にない異物だから、「マネ」の対象になり得るのです。つまり、私達の中の「和」は死に瀕してゐるといふことです。それが現状です。我々が古来守つてきたものが、この百年余り、殊に戦後六十年の間に急速に消滅してしまつたのです。

 では、私達にはもはや再生の道はないのでせうか。いや、私とて、さうまで悲観的ではありません。私達にも、からうじて残された日本の文化が少なくとも一つはあります。国語です、日本の言葉です。勿論、この領域もカタカナ語に侵食され、古典から遠ざかり、随分と痩せ細つて来てゐることは否めない。

 さうには違ひないのですが、私は諦めたくないのです。絶望したくはないのです。私達は、確かに古典が苦手になりつつある。大学生で近代古典すら読んだことのない若者が大勢ゐます。ある学生がこの夏、漱石の『こころ』を読んで、「古いものだから読む必要ないと思つてゐたが、とんでもない、衝撃的だ」とレポートに書き、心を揺さぶられてゐました。要は、古典に接する機会を親や教師が準備してやらないだけの話です。接する機会さへあれば、古典は我々を導いてくれるのです。

 古典と現代の距離は決して遠く隔たつたものではない。たとへば、神話の世界と言つてよいかもしれませんが、倭健命の妃、弟橘姫が、夫を助けるため自ら荒れる海に身を投じて嵐を鎮めた時に残した、「さねさし相模(さがむ)の小野(おぬ)に燃ゆる火の火中(ほなか)に立ちて問ひし君はも」といふ歌は、美しく哀切この上ないものです。五回繰り返して口ずさんでみて下さい。さねさしは相模に掛かる枕詞、他に難しい箇所は一つもない。口調のよさもあり、「火の燃え盛る相模の野に立つて、私の事を案じて呼びかけてくださつた君よ」といふ、弟橘姫の素直な心持が真直ぐに私達の心に伝はつて来る。愛しい人との別れを、その愛しい人のために覚悟した、死を覚悟した――さういふ姫の愛惜の情がひしひしと伝はつて来ます。二千年以上の時空を超えて、妃の心持が平成の私達に伝はる。

 近代の百年余りのうちに失つた日本固有の文化、その喪失の打撃には計り知れないものがあります。が、もしも、私達が私達の言葉を粗末にせず、素直に古典に身を委ねれば、日本の言葉は間違ひなく、私達を育み、心豊かな存在にしてくれます。『源氏物語』は難しいし長いと思つたら、万葉集を紐解いてみればよい、『古今集』でもよい、分からぬ歌があつたら無視して先へ進むこと。すると、数限りない優れた歌が平成の今を生きる私達に語りかけ、日本人である事を認識させてくれる、つまり日本人としての「アイデンティティ」を認識させてくれるのです。古典とはさういふものです。

 私達が言葉を操るなどと考へるのは傲慢でせう。言葉の方で私達を育んでくれる。歴史が言葉を育み、言葉が歴史を紡ぎ出し、その歴史と言葉が私達の中に日本文化を根付かせてくれる、私はさう信じてゐます。二千年を超えて言語の形態の本質が変らない国、二千年の時を超えて言葉が分かる国、これは素晴らしい奇跡と言ひ現す他ない。(皇室の存在についても同じ事が言へます。)恐らく、これを失つたら、我々は未来永劫日本文化を失ひ、日本を失ふ、さう思はれてならないのです。

 
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